死に自信をもって関わることができる方は多くありません。
目の前で苦しんでいる方に対して不安になるのは、ごく自然のことでしょう。
2025年には団塊の世代が75歳以上となり、本格的な多死社会を迎えることから、病院死ではなく自宅や施設で最期を迎えることが求められるようになりました。
「終のすみか」と呼ばれている特別養護老人ホーム(以下特養)でさえも、まだすべての施設で看取りができている訳ではありません。
様々な理由から看取りが実施できずに悩み、なかなか前に進まない施設も多いのが実情です。
今回の記事では、これからの多死社会における看取りと、人生を生ききる支援とはどのようなものかをお伝えします。
ぼくの体験談を交えながら、お伝えするよ!
なぜ看取りができないのか
「看取りを実施したいができない」と悩んでいる施設の理由を整理すると、下記の内容となります。
これらをすべて一度に解決するのは、容易ではありません。
私の勤める特養(以下当施設)も、当時は同じような課題を抱えていました。
しかし、すべてを解決してから看取りを実施したわけではなく、「まずはやってみよう」「1つ事例を作ろう」といったマインドセットで始めました。
どの施設にも「できること」と「できないこと」があり、パーフェクトな施設など、存在しません。
「完璧な準備」よりも「見切り発車」が成功の秘訣だと言えるでしょう。
当施設で看取りを始める以前は、本人や家族に選択の余地はなく、健康状態が損なわれるとすぐ入院となり、3カ月以上の長期間ともなれば、そのまま退所となっていました。
つまり、最期は病院ってことよね。
そうそう。病院で最期を迎えることが普通って考えている人が多いんだよね。
厚生労働省は、地域包括ケアシステムの構築に向けて、特養に「看取り介護加算」を創設し、看取りを実践するうえでの体制整備と、実際の看取りケアに対する評価等の要件を明確化しました。
経営的なメリットを打ち出すことで動機づけを持たせ、「終のすみか」としての役割に加えて、看取りの質の向上を強く求めました。
また、特養による看取りを増やすことで高齢者の入院を減らし、増大している医療費の削減にも繋げたいとの狙いも伺えました。
当施設も「看取り介護加算」の取得要件を満たし、看取りを積極的に実践することで、入院する入所者(空床)が減り、増収に繋がるという経営的なメリットの恩恵を受けることができました。
これまでの看取り
しかし、当施設の看取りを始めた当初を振り返ると、残念なことに看取りの同意方法は本人の意向ではなく、家族の意向が重視されていました。
その背景には、厚生労働省が2015年に制度改正で打ち出した、特養の入所条件を「要介護3以上」としたことや「日常生活継続支援加算」の取得要件を「重度者と認知症高齢者が新規入所者の一定割合以上を占める場合に評価する」としたことがあります。
つまり、入所条件や加算要件の変化は、「入所する時点で、本人の意思確認が難しい方が大多数を占める」ことを意味するようになりました。
このことから、本人の意思決定が難しいため家族等に委ねざるを得ないという実情は、当施設だけに限らない特養共通の課題となりました。
本人に確認したくても、できないのがつらいところ。
人生会議(ACP:アドバンス・ケア・プランニング)を行う看取りの意義
家族等へ人生の最終段階の判断を求めざるを得ない課題に対し、光明を見出したのが「人生会議(ACP:アドバンス・ケア・プランニング)」という概念です。
もしもの時のために、人生の最終段階について家族等や医療・ケアチームと本人が、望む医療やケアについて前もって考え、繰り返し話し合うプロセス
のことであり、厚生労働省により普及・啓発されています。
人生会議を知るほんの少し前では、本人の意向よりも家族等へ最期の決断を委ね、重い十字架を背負わせてしまったと憂いが残る事例も……
最初から、うまくいったわけではないのね。
けれども、人生会議の基本となる「本人ならどうしたいと思うか」という推定意思を尊重する姿勢で対話を重ねることにより、家族の心の折り合いがつき、スタッフの死生観の醸成に繋がると実感するようになりました。
死ぬ間際の支援ではなく、生ききることの支援へ
看取りというと「死ぬ間際の支援」と考えている方が多いと思います。
しかし、それは誤解です。
広辞苑で「看取り」を調べると、「病人のそばにいて世話をすること」「死期まで見守る、看病すること」と書かれてあります。
また、特養が「看取り介護加算」を算定する具体的な要件の1つとして、「看取りに関する指針を定め、入所の際に利用者と家族等へ内容の説明を行い、同意を得ること」が示されています。
つまり、「看取りとは施設に入所した時からすでに始まっている」と考えるのが適切だと言えます。
よって、入所の時点から人生会議を行い、「どのように最期を迎えたいか」「本人はどのような最期を迎えたいと思っているか」といったことを本人・家族・スタッフで共有することが求められていると言えるでしょう。
本人の意向に沿った看取りを提供するうえで、スタッフが大切にしなければいけないのは、「生ききる」という視点を持つことだよね!
「生ききる」とは、「死を見据えて望みを叶えながら生を全うすること」つまり、「最期の日に向けて、毎日を楽しく豊かに生きていくこと」です。
食べたいものを食べ、行きたいところに行き、会いたい人に会うなど心の折り合いをつけ、人生を全うできるよう支援することが、看取りの本質なのです。
人生会議で、まずはきっかけ作りから
いくら「終のすみか」と呼ばれる特養であっても、入所する時点で、すべての方が死を受け入れ、人生の最終段階について考えることができる状態であるとは限りません。
「看取り」「人生の最終段階」「死」というワードを聞いて、ネガティブな反応(不安・悲嘆・拒否・怒りなど)を見せる方は、まだまだ多くいます。
実際に入所時の人生会議を行うなかで、「せっかく入所できたのに縁起でもない!」と怒られたり、「最期のことなんて考えたくない・・・」と泣かれるなど、様々な場面を経験してきました。
ここで注意すべき点は、「人生会議は決定の場ではなくプロセスである」ということを忘れないということです。
大切なのは、現時点での本人や家族の意向を共有することで、今後のことをすべて決めてしまうことではありません。
人生会議の場において、本人や家族からネガティブな反応が見られた際は、無理に先へ進まず、死や人生の最終段階について考えるきっかけ作りに留めるだけで良いのです。
無理やり理解させようとしたり、方向性を決めてしまっては、そもそもの人生会議の概念から外れてしまいます。
様々な死生観を受け入れ、揺れ動く本人と家族の気持ちに寄り添う姿勢が大切なのです。
人の気持ちって、変わるわよねぇ……
最期まで家族とスタッフで共に支える
施設に入所したタイミングでは、利用者の状態は比較的安定していることが多いでしょう。
しかし、少しずつバイタルサインの変動や食事量の減少が見られ、機能面においてもできないことが増えていきます。
そして、死の間際を迎えることとなります。
本人の体調に変化があれば、なるべく細やかに家族へ電話連絡し、リスク(命を落とす可能性)を共有することで、人生の最終段階や看取りをイメージしていただく機会になります。
また、「こんなはずではなかった」という状況に陥ることを防ぐことにも繋がります。
当施設では、電話連絡も人生会議の一部と捉えています。
可能な限り多職種が一堂に会し、対面で行うことを理想としますが、コロナ禍において難しい場面が増えました。
よって、電話連絡による人生会議は、より重要度が増したと感じています。
さらに最近では、オンラインによる人生会議も増えました。
もちろん、入所時の人生会議においてネガティブな反応があった本人・家族に対しても、同様に人生会議を行い、少しずつ人生の最終段階や看取りをイメージしていただいきます。
「人生会議はいつでも・どこでも・何度でも」が、施設のマインドだよ!
人生会議における対話のなかで、利用者から「最期までここにいたい」「最期まで自分らしくいたい」という願いをたくさん聞いてきました。
また、意思決定が難しいとされる方の家族からも「最期までここで過ごすのが、本人にとって一番良い選択肢だと思う」「本人も慣れ親しんだここで最期を迎えたいと望んでいるはず」というお気持ちを聞いてきました。
施設側が、これらの想いを受け止め、「最期まで家族とスタッフがともに支える」という姿勢を示すことができれば、利用者本人が安心して最期の時間を過ごすことができるでしょう。
この姿勢こそが、人生を生ききる支援を行ううえでの大事な土台となります。
生ききる支援はスタッフのやりがいに繋がる
利用者の日常をケアしながら、「楽しく穏やかに暮らして欲しい」と願う方は多いでしょう。
しかし、死が間近に迫った時のケアを想像したとたんに、「無理だろうな」といったネガティブな考えになってしまう方がいます。
私は「楽しく穏やかに暮らす」を支える視点を変えることはありませんし、可能だと考えています。
この視点こそが、「生ききる」支援に繋がるのです。
たとえば、みなさんは日常のケアで「心地良く入浴して欲しい」と考えて、利用者の入浴介助を行っていると思います。
これは、看取りの同意が交わされた後でも、そのまま実施できることだわね!
家族に入浴の立会いをお願いし、背中を流して貰うなど、一緒にケアすることもできます。
家族とスキンシップをとりながら入浴することは、本人にとって楽しい時間となるはずです。
さらに、「しわが増えた」「手足が細くなった」など、利用者の身体的な変化を見ることで、家族は利用者の老いを受け入れ、今後の過ごし方を考えるきっかけにも繋がります。
看取り期だからといって、日常のケアを止める必要はなく、特別なことはいりません。
本人や家族に対して、より満足していただける時間を提供できるよう、ほんの少し工夫するだけです。
それが、スタッフのやりがいや楽しみに繋がるはずです。
これからの看取り
病院は医療を駆使して命を救うための場所です。
認知症のある高齢者の場合、命を救うための治療や安全を優先し、ベッドへ縛るなどの身体拘束が行われることも多くあります。
また延命のため、口から食べることを中止し、点滴に切り替えることもあるでしょう。
これらを本人が希望しているなら良いですが、そうではないことの方が多いように感じます。
少子化や核家族化からの流れで「終活」と呼ばれる言葉がブームとなり、社会の死生観は徐々に変化しています。
また、ここ数年においては「自宅や施設などの生活の場において、穏やかに最期を迎えたい」と望む方が増えているように感じます。
これから迎える多死社会において、看取りが行える施設の需要は増えていきます。
つまり、人生会議を繰り返しながら、最期まで本人らしく生ききる看取りを実践することが、地域包括ケアシステムの一員として関わることにも繋がるのです。
今回の記事をきっかけに、「良い人生だったね」と言葉にできるような看取りが1つでも多く増えることを願います。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。